こんにちは。長女のもえです。

日本史を学ぶことが好きな私は、歴史を感じる旅というテーマで今回の隠岐の島町・海士町のレポートをお送りしております。
今回は億岐家住宅・宝物殿についてのレポートです。

億岐家住宅は、玉若酢命神社(隠岐造りの本殿、随神門、旧拝殿、ともに国指定重要文化財)に隣接する国指定重要文化財で藁葺き屋根と隠岐造りが特徴です。

この億岐家住宅でどうしても見学したいものがありました。

億岐家住宅内に残る「隠岐騒動」の痕跡です。

「隠岐騒動」とは、明治維新直前に住民が無血で自治組織を立ちあげた松江藩との抗争のことをいいます。

幕末、隠岐周辺にも度々、外国船が訪れたそうです。

尊皇攘夷意識の高かった島民は松江藩の稚拙な対応に不満が募り、慶応4(1868)年3月19日、3000人が陣屋に押しかけ郡代(江戸時代に幕府及び、諸藩に置かれた役職)を追放しました。

しかし、朝命を受けた松江藩は兵を送り、5月に鎮圧し、自治組織を解体しました。

その弾圧の際に残った痕跡が、写真の大黒柱の刀傷と中戸に残る弾痕です。

島根県内にも、幕末の変革期に翻弄された人々の様々なドラマが存在したことを感じることができ、隠岐圏域に住む方々が郷土愛が強いことにも納得できます。

この写真の中戸の左側の柱には「馬つなぎの金具」があります。この金具は毎年6月5日に行われている「御霊会風流(ごれえふりゅう)」の馬入れ神事の際に馬をつないでおく為のものです。雌馬で馬入れをすると年内に死んでしまうというジンクスがあり、雄馬でと決まっているそうです。

億岐家の方にお話しを伺ったところ、この柱と金具は約200年前から同じだそうです。

立派な材料を用いていることはもちろんのこと、神事とともに隠岐の島町の歴史を刻んでいるのでしょう。

「中戸に残る隠岐騒動の弾痕」の拡大写真

「大黒柱の刀傷」の拡大写真

「億岐家の庭の竹」の拡大写真

「馬入れ神事の馬止め」の拡大写真

「億岐家住宅外観」の拡大写真