出会いと別れの季節に咲く桜。

三隅大平桜から約10㎞。
同じく浜田市三隅町に立つ海老谷桜』もまた、地域の方に愛されてきた桜です。

先にご紹介した三隅大平桜を案内してくださった樹医さんとの出会いは、海老谷桜の木の下でした。
(三隅大平桜のお話は、『三隅の一本桜<壱>』をご覧ください。)

平成20年の倒木により伐採を余儀なくされ、近くに移植されてから数年間花を咲かせていたものの、腐朽が進み、今年2月に惜しまれながらも撤去された樹齢約350年の桜の木、海老谷桜。

その木の若枝が残され根を下していると聞き、訪れたときのことです。
偶然にも木の状況を診に来られていた樹医さんとお会いし、お話を伺うことになったのです。
海老谷桜

桜が繋いだ有難いご縁によって、この木の歩んだ物語を知ることができました。


「海老谷桜の木が折れたと聞いたときの衝撃は、相当なものでした。」穏やかな樹医さんのお顔に一瞬、悲痛な表情が浮かんだことを、今でも思い出します。
海老谷桜の巨木(説明看板)

海老谷桜は、若木の立つ場所からほど近い海老谷川左岸の斜面に立つ、高さは12m、幹周りは3m、枝張は14~19m、浜田市の文化財に指定されるヤマザクラの巨木でした。

斜面に根を張って枝を広げる姿は力強く、その枝にびっしりと咲かせる花は、白色から次第に薄紅色へ変化を見せる、美しい木だったそうです。

何百年もの間、その場所にずっと根付いていた桜の木。
しかし、ある日、木はそこから姿を消してしまいます。

斜面の横につくられた道路の上を車が通ることで、その下になった根が踏まれ、数十年をかけて木が弱ってしまったのだそうです。
350年間もこの土地に生きてきた木です。なんとしても後世に残そうと、周辺の整備や土壌の改良、そして、懸命な治療が行われましたが、遂にその体を支えられず、平成20年4月1日、枝先にたくさんの花芽を付けたまま、巨木は根元から折れ、谷へ倒れ落ちました。

花を咲かせようとしていたそのときに、倒れてしまった海老谷桜。地域の方の落胆と悲しみは、相当なものだったそうです。

海老谷桜の巨木

近くに倒れた木の一部が残され展示されています。

そこには、「あの衝撃をもう一度想像して見て下さい」と書かれていました。

こんなに大きな桜の木が地域にあって...
毎年花を咲かせるのを当たり前のように楽しみにしてきたその木が、ある日突然、折れてしまったら・・・。

それから...何百年も頑張って生き続けてきた、海老谷桜の運命。咲きたくて咲きたくて、あともう少し!というところでの、衝撃・・・。
海老谷桜の花芽

すぐさま移植延命工事が行われ、安全なところで末永く生きられるようにと、樹齢350年の巨木は、今の若木の立つ場所に移され、花を咲かせました。

その裏では、再生に向けた地域の方の取り組みがあったと聞きます。
活動のひとつとして行われた募金には、多くの方からの支援が寄せられたそうです。 

そうして、移された年から3年間、花を咲かせた海老谷桜ですが...
移植された木の本体部は次第に枯れ、腐り...今年2月、惜しまれながらも撤去されました。


ですが、なんと!!海老谷桜はこれで潰えて・・・いなかったのです!!

海老谷桜の若木

たくさんの人が守り伝えようとした命。350年間も繋がってきた命。
その生命力は、想像を超えていました。

本体部が腐っていくのと同時に根の脇からは若枝が育ち、3年前にはもう、花を咲かせるまでになったのだそうです。

今回の撤去は、進んでゆく本体部の腐敗が若枝に及んでしまわないように、木を生かすために決断されたのだと聞きました。

ただ見ただけでは分からなかった、この若木の後ろ側にある物語。
教えてくださった樹医さんとの出会いに、心から感謝したいと思います。

海老谷桜の若木は、本体部の命を受け継ぐように、まるで、人々の想いを受け止めたかのように、しっかりと自らで根を張り、生きていました。 

海老谷桜の巨木のモニュメント

私たちがこの若木を見にいったとき、ちょうどこのモニュメントが取り付けられたところでした。

撤去された巨木の幹を模したもので、巨木としての姿と再生への歩みを後世に伝えるためにと設置されたものです。

想いのつまったモニュメントを前に、若木の中に続く350年の時の流れと、桜を愛してきた人々のことを思います。

浜田市は、海老谷桜を文化財指定から外すことなく保護していくそうです。この対応にも、海老谷桜の存在の大きさを窺い知ることができます。

350年の命を繋ぐ、小さな桜の若木。
地域の方に見守られ、長い歳月を刻み始めています。


三隅の一本桜。まだ続きます。
最後に、3本の一本桜を、紹介させてください。

>>『三隅の一本桜<参>』