古代出雲に捧げる、茶臼山登山!
2017年11月08日
島根県に暮らしていると、日常の中でも変わってるな、不思議だなと感じる物事があります。
例えば、難読であったり、聞き慣れない音の「地名」が多いこと。
現代で抱いたこの疑問を解決する手がかりとなるのが、約1300年前に編纂された「出雲国風土記」でした。
風土記編纂の際に、出された指令には「1.地名に良い名をつけなさい」「2.土地の産物をあげなさい」「3.土地の良し悪しを記しなさい」「4.地名の由来を述べなさい」「5.古老の伝承を書き記しなさい」という5項目が要求されていました。
実際に関連する資料を読んでみると、当時の生活・文化・歴史を知る手立てとして、そして地誌として貴重な資料であることが分かります。
細かく分けられた土地につけられた、数々の地名。
中にはなじみのある地名も見受けられます。
「出雲国風土記」は天平5年(733年)に完成したそうですが、まさにこの時代から変わっていないものが「多い」ということが「地名の謎」に行き着くのだと納得しました。(すべての変わった地名が古代の名残というわけではないですが。)
そんな中、変わった読み方をするのは地名だけではないと気がつきました。
それは「かんなび」と名前の付いた山。興味深く感じたので、調べてみれば、『神名火山(かんなびやま)』は、『神の隠れこもる山』を意味し、信仰の対象とされていることが分かりました。
また、不思議に感じたのは、同じ名(かんなび)をつけられた山4つが、入海(宍道湖)を中心にバランスよく配置されていたこと。
神気感じる山がたまたまそこにあったのか、はたまた、入海を中心に守護のような役割を持たせた山を定めたのか。
当時に思いをはせて、『かんなびやま』の一角であり、松江市の住宅地にそびえる『身近な山』に登ってみることにしました。
風土記では『意宇郡・神名備野』、現在の名前を『茶臼山』といいます。
・・・・・・
茶臼山があるのは松江市山代町。
多くの古墳が発掘されたり、奈良時代には国庁や国分寺がおかれていた記録もある古代出雲の政治の中心地でした。
なぜこの場所が重要な場所として定められたのか?そう考えたとき思い至ったのは、やはり『かんなびやま』の存在。
平野のなかに山が一つ。
このことに深い意味を見出した人々が、この地を重要な場所として定めたのでは?
現代人よりもはるかに自然に敏感で、信仰を大切にしていた人々が、特別な思いを抱いたのだとしたら・・・。
想像に難くありません。
そして今現在、人々が信仰していた「神名備野」は、ハイキングコースとして親しまれています。
なにせ標高は約171m。山としては小ぶりで、遠くから見れば丘のようにもみえます。
しかも、近隣にはスーパーや住宅地がひしめいているため、よけいにその存在は小さく見えていました。
・・・・・・
登山口は南と西に1か所ずつ。今回は西口登山道から入山することにしました。
用意されていた山登りの友・竹の棒を手に山道へ。
神名備野・茶臼山へ
山登りの友と登山口
登り始めてすぐ粘土質の土が覗く上り坂が続き、早くもよたよた。
道中、ずるずると足を滑らせた跡もあり、気を引き締めることに。
足下
山道
山道
山道の脇にあった竹藪が、次第に木々に代わり、足下の落ち葉を気にしながら、進むこと25分。
とどめと言わんばかりに、今まで以上の傾斜を持つ坂が立ちふさがっていました。これはハイキングではない、と言葉にしながらよじ登って・・・
最後の坂
やっと、山頂にたどり着きました。
山頂から(大庭方面)
山頂から(中海方面)
山頂から(宍道湖方面)
山頂は、360度視界良好!
松江市を遠くまで見渡せる、まさしく、天然の展望所です。
丘のようにも見えていた茶臼山に、最高のロケーションという底力を見せつけられました!
ノンストップで登ってきて熱くなった体も風を受けて、クールダウン。
中世に城として利用されていた為、その名残で山頂は平たく整地されていました。
山頂
山頂
眼下に広がる美しい風景と、腰掛、桜の木、案内板だけがそこにあり、こじんまりとした、落ち着ける空間に、ついつい長居をしてしまいました。
また地元の方でしょうか、草を刈ったような跡もあり、今も茶臼山を大切にしている人の存在が感じられました。
しかし、『ハイキングコース』と多くのパンフレットやホームページで紹介されていましたが、意外や意外、しっかり登山をした気分になりました。
山道のコンディションのせいか?はたまた、運動不足のせい?
いや、この充実感を感じさせてくれる、絶景のおかげだったのでしょうか。
神名備野
山頂からの良い景色
「茶臼山」の存在は、登ったことによって強く感じられました。「神名備野」を信仰していた人はこの山に登ったのでしょうか、この風景を見たらなんと言うだろうか。
またも遠い過去に思いをはせました。
「茶臼山」を後にするとき、どんどん遠のいて小さくなる茶臼山を見ても、今では丘のようだなんて思えませんでした。
山頂までの道のりや、山頂からの雄大な景色が思い出されて、しっかりとした山の姿に見えました。
・・・・・・
冒頭でふれたように『かんなび』は、島根県東部の4つの山に、その名を与えられていました。
他の山も今回の『茶臼山』のように、見た目以上の魅力を持った山なのかもしれません。
「秋鹿郡・神名火山」「楯縫郡・神名樋山」「出雲郡・神名火山」
あと3つ。
登れば当時の人々の気持ちに迫れるでしょうか。
それとも謎が謎を呼ぶ展開になるのでしょうか。
奈良時代に信仰された山の現在は?壮大なテーマが出雲国風土記から飛び出しました。
山の魅力と古代出雲が絡み合った、島根県ならではの特別な登山でした。
~紹介~
・『かんなび』の山について、『出雲国風土記』の記載文書と共にわかりやすい解説が書かれた資料がネット上でもご覧頂けます。
島根県 文化財課:いにしえの島根 (第5巻/『出雲国風土記』を歩く "かんなび")
・「出雲国風土記」をコンパクトに記した「出雲国風土記ハンドブック」という冊子もおすすめです。
内容は出雲が舞台の神話、風土記とは、当時の地図など。
島根県教育庁文化財課:出雲国風土記ハンドブック (上)(下)
興味がある方は、ぜひご覧ください。
西口登山口から始まった
急な坂を登ったら
神名備野についての看板も