11月。朝夕冷え込むようになり、思わず身を縮め、冬に向かうのを実感する日々が到来しますが、それゆえ木々の色づきを楽しめる季節でもありますね。

そんななか紅葉もびっくりの、オレンジ色があふれる場所をご紹介します。

ほし柿の里

ほし柿の里

オレンジの光を放つのは、柿です。

ここは松江市東出雲町畑(はた)地区。松江市の名産品「干し柿」づくりの一場面。

「畑ほし柿生産組合」に所属する19世帯の組合員さんたちが、柿の乾燥場 "柿小屋" で、皮をむいた西条柿(さいじょうがき)をひもに結んで吊るし、乾燥させているところです。西条柿は渋柿なので、このように干すことで渋みを抜いています。

栽培した柿を収穫して干し柿にする作業は、毎年11月にピークを迎えます。

栽培した柿を収穫

ほし柿の里

畑地区における干し柿づくりの歴史は古く、戦国時代、尼子氏と毛利氏が争っていた
1500年代に毛利軍によってもたらされ、始まったといわれています。

尼子がお城を構え本拠地にしていた月山(がっさん)、月山富田城(跡)にも近い
標高473mの京羅木山(きょうらぎさん)中腹、標高150~200mに位置する畑地区。
柿栽培に適した土質や、この時期、気温が低く風が吹いて乾燥しているという、
柿を干すのに最適な環境を満たす立地に恵まれ、
(雨や霧、それらがもたらす湿度、季節外れの気温の上昇はご遠慮願いたい  >by 柿)
干し柿作りの伝統が今日まで受け継がれてきました。

 丘の上に建つ柿小屋
丘の上に建つ柿小屋

畑地区

畑地区
畑地区

柿小屋と柿の木
柿小屋と柿の木

畑地区には15ヘクタールにおよそ4,000本の柿の木があり、1本に平均数百個の柿がなるそうです。

 柿の木

柿の木

柿の木

江戸時代の1809年、この地区に初めて柿小屋が建ちました。

何より太陽の恵み、天日が必要ですから、どの柿小屋も日当たりのいい南向きに建っています。晴れていれば夜も窓を開け放したままです。

ほし柿の里

ほし柿の里

最初に柿小屋を建てたと伝わる石橋家では、毎年およそ25,000~28,000個の柿を扱うそうです。

干し柿づくりは柿をとる人、皮をむく人、ヒモで結ぶ人・・・皆で分業します。

干し柿づくりの作業

干し柿づくりの作業

干し柿づくりの作業
干し柿づくりの作業

干し柿はまだ完成前、途中の段階のものです。
干し柿はまだ完成前、途中の段階のものです。

柿の皮をはいで10日から2週間柿小屋に吊るし、製品に仕上げるまでおよそひと月。12月に入ると、出来上がった干し柿たちの出荷に向けた作業が始まり、いよいよ楽しみに待つ皆さまの元へと運ばれていきます。

天日で乾燥させる「畑ほし柿」は食品添加物や保存料等を一切使用しません。安心・安全・美味しい干し柿を作るため、すべての家が土づくりから手がけられます。
1月には木の剪定が始まり、落ちている葉っぱを片づけたりと、年中忙しくしながら、技と伝統を大切に守り、またその取組みを発信しておられます。

ほし柿の里

ほし柿の里

"まるはた(〇の中に"畑"の字)ほし柿"という登録商標を有し、2013年には(財)食品産業センターから「本場の本物」の認定を受けました。また、近年タイや中国から視察に来られたり、2015年にはイタリアのミラノ国際博覧会に出品して好評を博すなど、国内外でますます注目を集めています。

美しい柿すだれの眺望を楽しみに畑地区を訪ねるなら、柿を干す作業が全盛期を迎える11月半ばがお薦めです。

ほし柿の里

ほし柿の里

そうそう、食べたことがあるのです、"畑ほし柿"。 
正直に言うと、それまで干し柿に進んで手を伸ばすことはなかったのですが、
パク・・・☆☆☆


干し柿?えぇ好きです。忘れられない味が・・

極上の一品を知ってしまいました。

 

★「畑ほし柿生産組合」のページはこちら

西条柿
西条柿

まだ途中の段階のものです。美味しそう。
まだ途中の段階のものです。美味しそう。

柿の木