大自然のベールと於保知盆地
2016年11月28日
島根県中部の山間部。
広島県との県境にある自然溢れる町、邑南町。邑南町と聞けば真っ先に思い当たるのは『A級グルメ』の取り組みではないでしょうか。きれいな水や空気、恵まれた環境で育まれる農作物が最大限に生かされています。
ただ今回は、「農業」や「食」ではなく、邑南町の「自然」に着目!
おいしい農作物をはぐくむ環境は『とある現象』を生み出していました。
県内外の人を魅了する『とある現象』に興味がわいて、標高540メートルの山頂にある宿泊施設に宿泊し、体感することにしました。
宿泊施設について早々、のフロントの方に『とある現象』について話を聞くと、
「ああ、その光景を目当てに泊まってくださる方、とても多いです。
秋の早朝、しかも晴れの日じゃないと見ることができないので、保証はできないのですが。」
「レストランや、浴場が特におすすめですね。」
「もう、でっぱなしですよ。」
・・・とにかくその現象は、
朝早くに、レストランと浴場で楽しむのがおすすめとのこと。
明日の朝に備えます。
朝5時。
起床して窓の外をチラリ。
うっすらと明るくなっていくなかで、青みを帯びた山の稜線が美しいです。
そして何よりも、目に飛び込んできた、その光景!
町を包み隠す
山に迫る
雲の海原
『雲海』です。
そう、『とある現象』その正体は雲海!窓いっぱいに非日常の光景が広がっていました。
・・・・・・・
興奮冷めやまぬ中、散策に出かけます。
いま雲の中にいるのでしょう。
霧や靄のように曖昧な世界のなか、ぎゅっと冷えた空気を楽しむように早朝ウォーキング。ただの散策もなんだかスペシャル感があって、気が付けば朝陽が登ってきました・・・。
長々と外に出ていたため冷えてしまった体を温めようと、帰るなり浴場へ。浴場の扉を開けて正面、窓から見えたのは一面の雲海でした。
先ほど昇ってきた太陽が明るく、雲を照らします。
湯船の中の湯けむりではっきりとは見えませんが、いい雰囲気です。
寝て起きて雲海、外に出て雲海、お風呂に入って雲海。
意識してみればこれ以上ない「雲海ずくし」。非日常の現象と共に生活する、贅沢な気分に浸れました。
リフレッシュしたあとは、朝食へ。
フロントの方も言っていたように、レストランから見る雲海も見事でした。料理を食べつつ外を見れば、特別な一日の始まりですね。
このレストランの外はバルコニーになっていて、自由に出てみることが可能。
もちろん、出てみました。
室内から一歩踏み出しただけなのに、ぐっと鮮明に!
スケールの大きさが体に直接に伝わってくるからでしょうか。実際に触れてみることの大切さを感じさせてくれます。
そう、この雲の下には町があって・・・。と何度も訪れている邑南町の町を見下ろしてみれば、雲のかかっていない町の端のほうに、石州瓦の赤い屋根がぽつぽつ。
慣れ親しんだ町が垣間見えてくる様は、現実がだんだん現れてくるようでした。
・・・・・・・・
気が付けば8時。
雲海はしぼむように漂う高度を下げていきますが、いまだ雲海が晴れる兆しはありません。
雲海が出るということは、この日は快晴になるはず。
イメージしていたのは、雲海が出現してから1~2時間で雲が晴れて、すっきりとした青空の下、町が姿を現す。というもの。
しかし、イメージが覆されて、冷静になった時、頭の中で昨日の言葉がよぎります。
「でっぱなしですよ。」と。
チェックアウトをして、山を下ります。
その途中に展望台を見つけて寄ってみれば、ホテルから見た時よりも、雲海が近く、山は高く見えます。標高700~800メートルの山並みに囲まれていることを再確認し、また違った雲海の姿を眺めることができました。
町中まで車を走らせていても一向に、雲は消えず。いまだ霧の中のよう。
結局10時ごろまで雲は町を覆っていました。
調べてみると、10時くらいまで雲海が出ているのは天候が安定している条件のよい時なんだとか。
いいタイミングで雲海を見れてラッキーだったんだ。
知らず知らずのうちに、想定以上の素晴らしい体験をしていたようでした。
・・・・・
さて、雲海に覆われたその下に広がるのは『於保知盆地』。
なにげなく、邑南町の町、としてしか認識していませんでしたが、雲海を堪能した後、その於保知盆地を車で走りながらあることを不思議に思っていました。
盆地という割に小山が多いなあ、と。
そもそも盆地とは、周囲を山地、丘陵地等に囲まれた相対的に低く平坦な地域にある農業集落のことをいうようなので、やはり小山の存在は謎めいていて、しかし、どこか既視感もあり。
思い出せず頭を悩ませていましたが、そのまま、もやっとした疑問を抱えて帰路につきました。
ですが、後日邑南町のホームページを見ていたところ
「日本でも最古の部類に属する6世紀末の製鉄遺構。」という文章が、目に飛び込んできました。
「今佐屋山製鉄遺跡」というのが、今から約1400年前(古墳時代後期)の製鉄炉で、島根県内一古い製鉄炉ということでした。
そして、このことから、その正体にピンときました。
ああ!
「鉄穴残丘(かんなざんきゅう)」だ!と。
何かで見たような、と思った正体は、奥出雲町横田地域の鉄穴流し跡地。
田んぼの中に点在する小山でした。
「今佐屋山製鉄遺跡」は、古墳時代の遺跡で、江戸時代から行われた「たたら製鉄」の鉄穴流しとは直接の関係はありません。
ですが、『製鉄が行われていた土地』というワードが頭の中で結びついたのでした。
「たたら製鉄」における砂鉄採取は、山を崩した土砂を水で流すことにより砂鉄を水洗分離する方法(砂鉄と砂の重さの違いを利用する)「鉄穴流し」で行われていました。
砂鉄を採取した跡地は、棚田に姿を変え、広大な農業基盤として復元していきます。
しかしその中でも、鎮守の杜や墓地などがあったために削らずに残されたことにより出来たもの、それが「鉄穴残丘」です。
また、邑南町観光協会のホームページには、
『中世以降、この地域では盛んに「たたら製鉄が行なわれましたが、江戸時代に大規模な「高殿(たかとの)たたら」が普及すると、多量の砂鉄を供給するため鉄穴流しが始められ、明治期に洋式高炉が普及するまで続けられました。鉄穴流しは主に冬期間に行なわれましたが、切り崩した土砂で農地の造成なども行なわれ、長い時間をかけて現在の地形が作られました。「鉄穴流し」の跡地と人々の生活が融合してできた文化的景観でもあります。』(抜粋)
とありました。
雲海の下に隠されるようにあった於保知盆地には、古くから人々が生活し、文化が発展していた証だったのです!
雲海が見られたことで、於保地盆地の重厚な歴史をしることができ、邑南町にある他の時代の遺跡や古墳にも興味がでてきました。今回のテーマは「自然」のはずだったのですが、大きなテーマ「歴史」「文化」が雲海の下にに隠れていましたね。
そういえば、と今回の写真を確認してみれば展望台にしっかりと『於保地盆地と鉄穴残丘』の文字が!見逃していました・・・!
あの時しっかり確認していれば、と悔やまれます。(雲海の感動を更に高めてくれたかもしれない。)
ちいさな疑問から発見につながり、その地域の特徴や個性を知ることができました。
『雲海』と『於保地盆地』の謎がすっきり!晴れ渡るような心地です。
これらのことを踏まえて、邑南町で雲海と於保知盆地を感じてみませんか?