浜田市の要を訪ねて
2016年10月25日
浜田城は1620年、古田重治により標高67mの亀山に築かれた平山城。
長州藩に対する山陰側の押さえの最前線として重要視されていましたが、1866年7月18日、第二次長州征伐で敗れた松平武聡の退城によって落城。城主の代替わりも激しい、動乱の248年間を終えました。
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浜田駅から西へ約2キロの場所に『浜田城跡』があります。
浜田商工会議所の裏手からつづく坂道を登ればそこは、浜田城二の丸。現在の濱田護国神社の境内です。
浜田商工会議所
濱田護国神社境内
濱田護国神社の横を通って奥の方に進むと、年月が感じられる門が静かに佇んでいるのがみえてきました。こちらの門、もともとは津和野藩庁の大手門であり、浜田県庁の正門でもありました。明治期に浜田城に移築され、現在ではすっかり趣きを感じさせる本丸への入口となっています。
津和野藩の大手門
門をくぐれば、右手に続く石段。
石段自体は古くなっていますが、造りは変わりません。外からの侵入を考えての設計でしょうか、幅は広く、うねるように切り返す、見事なものです。
先ほどの門の手前には、かつての城の姿を復元したCG画像があるのですが、それを見た後では石段を踏むだけでも、がんがんと高揚感があがっていくのを感じます。
石段を右へ
切り返して左へ
石段のアップ
本丸へ・・・
浜田城復元CG
そして、現れる浜田城本丸。
浜田城本丸
軍事拠点となった三重の櫓の姿を想像できるほどに、さっと開けた空間。
築城ほやほやだった浜田城を海上から見たスペイン人宣教師が『あの城はなかなか立派なものだ。』と言っていた、という逸話が残るのも分かる気がしました。
また、本丸跡の東側・松原湾を見下ろせば、民家が海岸線にならうにようにギュッと並んでいる光景と豊かな木々と海が一望できました。
松原湾と家々
本丸に到着して数分。木々にとまっていた鳥が騒ぎだし、つぎつぎと上空へ。そのまま鳥の飛ぶ姿を見上げていると、視界の端にオレンジ色の光がちらつき、振り返れば、いままさに沈もうとする夕日が。
空の色もいつの間にか寒色と暖色のきれいなグラデーションになっていました。
飛び立つ鳥
美しい空
夕日スポットというには木々がすこし邪魔をしていましたが、木々の隙間からのぞく暖かなひかりに素敵な場所だな、としみじみ。
現在、浜田城跡は城山公園・桜の名所として知られ、お花見に、遠足に、多くの人がここを訪れます。
飾らない素朴な石垣と華やかな桜。そこから眺める海とまちなみ。
いろいろな風景が重なり合ってきっといい眺めでしょう。まだ見ぬ春が待ち遠しくなる浜田城跡は、今日も昔と変わらず浜田市を見守っています。
枯葉と本丸
石段を下って
街の中へ