出雲市平田町。地図でみると宍道湖の左上あたりに位置し、
出雲大社と松江市の松江城を結んで宍道湖の北側を走る一畑電車が行き交うまちです。

このまちに素敵な名前の観光スポットがあります。

『木綿街道』 

暖簾

木綿街道

いいですね・・ 文字の見た目、音の響き。


通りを歩いても風情があり、

町の記憶を静かに語りかけてきそうです。

 木綿

『木綿街道』と命名されたのは平成13(2002)年のこと、比較的最近なのですね。

"江戸から明治期にかけて木綿の集散地として栄えていた" そうで、「へぇ・・」と思うものの、
"ここ"と木綿がすぐにはつながらない・・

"木綿の集散地"ということは、木綿を集め、送りだす場所だったわけで、でも、すぐ近くに大きな港や海があるわけじゃなく、宍道湖にもやや距離があるし・・・あ 川がある・・・それにしても木綿畑はどこ?どこで作られていたのだろう・・・?

木綿街道に立って辺りを見渡してもすぐにはピンときません。

これは話をきいてみたいと思い、いくつか行われている定時ガイドコース(有料)のひとつ、「木綿街道探訪帖 ~木綿の歴史と機織体験の巻~」に申込み、あらためて参加してきました。

木綿街道交流館

ガイドさんにお話をきかせてもらった場所は『木綿街道交流館』。

平田のまちと木綿の出合いは江戸時代のことだったそうです。

宍道湖と斐伊川。斐伊川の手前、左の方に平田のまちが広がる
宍道湖と斐伊川。斐伊川の手前、左の方に平田のまちが広がる 

それまで宍道湖は、いまよりもっと西、木綿街道のあたりまで"宍道湖"でした。
それが江戸時代、出雲国松江藩の新田政策により、宍道湖の一部を埋め立ててお米を作ることになりました。

1686年に開発が始まり、斐伊川から砂を流し、埋めて埋めて37年。

宍道湖は汽水湖で塩分を含んでいるので、今度は塩を抜くためアルカリ性の土壌を好む綿を植えました。そうしたところものすごくいい綿ができたそうなのです!綿の栽培は難しいとされていたなか・・・よほど土地が合っていたということなのですね。

その頃になると米の値段は下がり、綿の方は超高級品で高く売れていたため、松江藩の第7代藩主 松平不昧公が財政立て直しの改革で、綿栽培に切り替えました。

かくして田んぼにするはずだった土地は木綿畑になったのでした。

埋め立てた土地の外側は運河として残し、船で宍道湖へ、そして松江まで運びました。

運河だった川

川

現在も木綿街道の周りには川が流れています。通りから直接川岸へおりる階段があり、その先には"かけだし"と呼ばれる小さな桟橋(船着き場)があります。

かけだし

かけだしへ続く階段

かけだしへ続く階段

かけだしへ続く階段

ここで荷物の上げ下ろしをしたそうです。
当時はたくさんの帆船がとまっていたそうですよ。

荷物の上げ下ろし 

いい綿がたくさんできて、木綿市が開かれ、それはそれは賑わいました。

木綿街道 

松江藩に納めると北前船で大阪、京都へ。
京都でものすごく高く売れたという記録が残っているそうです。

市場町として物が高く売れて人が集まる、酒や醤油などを作る醸造業や金融業の商家も集まる、まちは一大商業地となりますます人がやってきて栄えていったそうです。

木綿街道

木綿街道 

木綿市で買い付けなど行っていた『本石橋(ほんいしばし)家』は大地主で、木綿街道で最も古い1750年頃に建てられたといわれる建物が、補強する以外はいまもそのまま残っています。

本石橋邸外観
本石橋邸外観

本石橋邸内観
本石橋邸内観

松江藩のお殿様の休憩所として邸内の奥座敷は御成り座敷が造られました。松江のお殿様が出雲大社へお参りするときは船でここまで来られ、ここから乗物(駕籠)で向かわれたそうです。
武士の位をいただいて庭をつくることもできた本石橋邸は国登録有形文化財。邸内を見学(有料)できます。

本石橋邸内観
本石橋邸内観

本石橋邸 庭
本石橋邸庭

本石橋邸内観
本石橋邸内観

造り酒屋、醤油屋、生姜糖のお店などは受け継がれいまもここで私たちを迎えてくれます。

醤油のお店
醤油のお店

お酒のお店
造り酒屋

生姜糖のお店
生姜糖のお店

伝統を受け継ぐ一方、現代ではしょうゆアイスにしょうゆソフトクリームを食べることができるし、醤油のテイスティングなんかもできます!その時代にはなかった可愛いカフェもありました。

醤油のお店
醤油屋

醤油のテイスティング
醤油のテイスティング

木綿街道は地域の人たちにも親しまれていて、コンサートやフリーマーケット、餅つきなど様々なイベントが開催されていますので情報をチェックして、その日にあわせて行ってみるのも楽しそうですね。

見学の拠点となる『木綿街道交流館』も江戸時代のお医者さんの家を復元したもので、

木綿街道交流館 外観
木綿街道交流館 外観

木綿街道交流館 内観

木綿街道交流館 内観 
木綿街道交流館 内観

今回のガイドツアーに含まれていた機織体験をしたのは薬草の調合室だったところ!雰囲気のある落ち着く佇まいです。

機織体験

機織体験

機織体験 
機織体験

外には木綿も植わっていて、かわいい綿が顔をのぞかせていました。

綿花が栽培されていた

綿花が栽培されていた
綿花が栽培されていた

綿花 
綿花

時代が明治に移りやがて外国から安く入るようになると、日本の綿花栽培は衰退していきました。

一畑電車に乗って松江市から向かうと、宍道湖を過ぎたあたりから「布崎」駅、次の「雲州平田」駅までは、左右に田んぼが広がる見晴らしのいい区間ですが、そこがかつて宍道湖で、その後一面に綿の花が咲きほころぶ時代があったのでした。一面に広がる木綿畑を想像しながら車窓の景色を眺めるのもいいですね。あぁちょっと見てみたい・・

綿花流通の道、木綿街道。
名前に惹かれて訪ねてみたら、素敵なまちの歴史を知ることができました。地図をみるのもまち歩きも俄然面白くなりますね。
木綿街道交流館などでもらえる散策マップを片手にぜひゆっくり歩いてみてください。ガイドコースも様々なメニューが用意されていますよ。

さて、この木綿街道の外れには歴史と格式ある『宇美(うみ)神社』があります。

宇美神社

宇美神社の主祭神は布都御魂神(ふつのみたまのかみ)という霊剣の神。"ふつ"は宝剣で物を断ち切る音を表しているそうです。
またその主祭神とともに祀られている事解男命(ことさかのおのみこと)は、"ことさか"=事をさく=関係を裂く・・・"関係を断ちそれぞれが新しい道を歩む、絶縁と浄化の象徴となる神様"であることから、お参りすると諸々の悪運、悪行を断ち切る"悪縁消除"が叶うとされているそうです。

宇美神社

宇美神社 

その宇美神社内の境外社のひとつに『縁結神社』があります。ご祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冊尊(いざなみのみこと)。数ある神社のなかでも出雲で「縁結」の名がつく神社はここだけ!

縁結神社
縁結神社 

木綿街道が賑わっていた時代にもきっと多くの参拝客を迎えていたのでしょうね。

宇美神社で悪縁を断ち、縁結神社で良縁を結ぶ。

木綿街道まち歩きと宇美神社(縁結神社)ご参拝というのもお薦めのまち歩きコースです!

〔☆出雲観光協会「木綿街道」

〔☆出雲観光協会「宇美神社」