日本最古の歌集『万葉集』第一の歌人であり、"歌聖"と称された柿本人麿。

飛鳥時代に天武・持統天皇に仕え、数多くの歌を遺した人麿ですが、その生涯は謎に包まれています。

どこで生まれ、育ち、どこで亡くなったのか。

様々な説がありますが、有力な地のひとつと言われているのが、島根県益田市です。益田市には、そのことを伝える歌が多く遺されています。

柿本人麿生誕地の碑(人麿遺髪塚前)

"石見の海 打歌の山の木の間より 我が振る袖を妹見つらむか" 

益田に妻を残して都へ上る人麿が、妻への恋しい想いを詠んだ歌です。
妻のいる家の方向を振り返っては手を振ってみる。そのいじらしい姿が目に浮かぶ歌。人麿は素直で愛情深い、可愛い人だったのかもしれません。

益田の方々は、親しみを込めて、彼を「人麿(人丸)さん」と呼ぶそうです。
今回は、行く先々で「人麿さん」に出会う。そんな益田の旅をご紹介したいと思います。

まずは、人麿さんを一目見に、歌に詠まれた"石見の海"を目指してみることに...

向かったのは、益田十景のひとつに数えられる『人形(じんぎょう)峠』
国道191号線(北浦街道)から県道170号線(益田津和野線)を飯浦漁港方面へ。海岸線に沿って旧道を1kmほど進んだところ。日本海に突き出すような位置に、その峠はあります。

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『駕籠立(かごたて)』と呼ばれる展望所には車2台分ほどの駐車スペースがあり、そこに車を停めてみることに。

この駕籠立は、かつて飯浦を視察に来られた津和野藩主が、眺めの素晴らしさに、駕籠を止めて休憩をされた場所なのだそうです。

この見晴らしです。お殿様の気持ちも分かります。

西に見えるは島根県最西端の鑪崎(たたらざき)、綺麗な三角形をした三生島(さんしょうじま)。下には屏風岩と言われる奇岩。東に延びる海岸線。ここからは、石見の地の殆どを見渡すことができるのだそうですよ。 

鑪崎(たたらざき)

三生島(さんしょうじま)

屏風岩

大迫力の景色をひとしきり楽しんだところ...あれ?いない!人麿さんはどこに?

車を停めたまま歩いて道を戻ること約5m...。 いました!!大きな大きな人麿さんです!

人形岩

人形岩。高さは7.8m。日本海の荒波によって人の形のように削られたこの岩ですが、足を延ばして座っている横顔が、不思議と人麿さんに見えると言われています。

見下ろす場所や角度によって、違う姿を見せる巨岩の数々。その中で人麿さん、屏風岩を横に広げて気持ちよさそうに休んでおられます。

「人麿さん、今日は貴方のゆかりの地を巡らせていただきます。よろしくお願いしますね。」

無事にご挨拶を終え、次の目的地を目指します。

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