ここまで、人麿さん(柿本人麿)を訪ねて、石見の海の人麿さん生誕の地、廟所と益田市をめぐってきましたが、そうするとやはり"打歌の山"が気になるところ。
近くまで行ってみることにしました。

戸田柿本神社近くの看板

打歌の山は大道山のことと伝わります。

戸田柿本神社から約3km、大道山の中腹に見えたのは、日本の棚田百選に選ばれた『中垣内棚田』。6.2haの面積に376枚もの田んぼが連なっています。

美しい風景。
この棚田がつくられたのは中世(平安~室町時代)からとのこと。人麿さんが見た景色とは少し違っているだろうけれど、もしかしたら、人麿さんもここを歩かれたかも知れません。

季節が6月だったこともあり、緑一色の棚田は絵に描いたような美しさ。これを人の手が、暮らしがつくり出したものかと思うと、なんとも言えない感動を覚えました。

人麿さんがこの景色を見たら、どんなに素晴らしい歌を詠まれたことでしょうか。

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人麿さんが生まれ育った場所。
そして、亡くなったのも益田市かもしれないと言われています。

"鴨山の 岩根し枕ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ"

辞世の句です。
人麿さんが最期を迎えた『鴨山』。これにも諸説ありますが、1026年に起きた万寿地震によって海に沈んだ、益田市高津町沖にあった鴨島の山を指すと伝えられています。


今回は訪れることができませんでしたが、高津町には、人麿さんの御魂を祀った『高津柿本神社』があります。
最期の時にも妻を想う、多くの恋の歌を残した人麿さん。そんな人麿さんにあやかって、恋愛成就を祈願される方も多いのだそうです。生誕の地と終焉の地、両方めぐってみるのも良いですね。

益田市観光協会


人麿さんを訪ねてめぐった今回の旅。
歴史上の人物としての"柿本人麿"が、「人麿さん」として、ぐっと身近になったように思えます。
人麿さんを生み、見送ったその後も、約千三百年間、"石見の海"に、"打歌山"に、ずっと人びとの営みは続いて...
今に形づくられた益田の地。その美しさの一角に、触れることのできた旅でした。

~人麿さん、美しい益田を見せてくれてありがとう。~


<おわり>

”石見の海”(三里ヶ浜の観音岩)
”石見の海”(三里ヶ浜の観音岩)

”打歌の山”(大道山)
”打歌の山”(大道山)