人麿さんを訪ねて...【その後の、その4】
2016年12月28日
『万葉集』第一の歌人、柿本人麿。
石見国府へ官吏として赴任していたとされる彼の作品には、石見地方(島根県西部)を詠んだ歌が多く遺されていて、彼は地元の方から「人麿(人丸)さん」と呼ばれ、今も親しまれています。
今年の夏、人麿さんの足跡を追って益田市をめぐった旅、『人麿さんを訪ねて...』。
今回は、そのときに行くことができなかった、高津柿本神社に行ってきました。
益田駅からバスで約10分。高津柿本神社は、柿本人麿の御魂を祀る神社です。
前回の旅で心を遺していた場所だったので、こうしてお伝えできることに喜びを感じながら...ご紹介させていただきます。(もうすっかり人麿さんファンの、しまねまちなびスタッフです。)
さて、人麿さんは、どこで亡くなったのか?
その生涯は未だに謎のままで、様々な説がありますが、益田市なのではないか?と言われています。
"鴨山の 岩根し枕ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ"
愛しい人を想い詠った、柿本人麿、辞世の句です。
没後間もなくの神亀年間(724〜729年)、聖武天皇の勅によって人麿さんが最期を迎えた地"鴨山"に、『人丸社』が建立されたとのことですが、その社はどこにも遺っていません。
それでは、この"鴨山"は、どこのことなのか...?
諸説ありますが、1026年の万寿地震によって海に沈んだ、鴨島(益田市高津町沖にあったとされる島)の山を指すのではないかと言われています。
地震により鴨島とともに人丸社は海に沈みますが、御神体は高津町の松崎に漂着。その地に新しい社が再建され長く祀られていましたが、1681年、津和野藩主・亀井玆親(これちか)によって今の地に移されました。
玆親公は人麿さんを崇拝した方で、人麿さん生誕の地ともいわれる同市の戸田地区に、戸田柿本神社を建立されたのもこの御方。お城からも拝むことができるようにと、高津柿本神社は、津和野の方角を向いて建てられているそうです。
篤い信仰心によって建立されたこの神社。
重厚感のある立派な拝殿。奥に見える御本殿は、県の有形文化財にも指定されています。
拝殿の横には人麿さんの像がありました。人麿公像に見守られながらお詣りを...。
振り向くと、視界がぱっと開けます。
それほど広くないはずの境内ですが、高台にあるため見晴らしがきき、陽射しも心地好く降り注いでいました。
神社の看板に、現本殿は高津城跡に建てられたと記されていました。元々ここには、『高津城』というお城があったようです。
高津城...?
後から分かったことですが、高津城は、南北朝時代に石見南朝勢力の中心を担った高津長幸が築いたお城。今は城跡の殆どが消失していて詳細は分からないようですが、現在の高津柿本神社と島根県立万葉公園の付近一帯にお城があったとのこと。
高津柿本神社に隣接する、島根県立万葉公園。
偶然にもこの日は、高津柿本神社と繋がる散策ルートを通って、その万葉公園にも訪れていました。後から知る思いがけない情報にびっくり!いやはや、そうとは知らずに、高津城の跡地を歩いていたのですね。
中を歩いてみて驚いたのですが、すごーく広い!
面積は48.4ヘクタール。その中には、オートキャンプ場、広いグラウンドや、遊具のある広場だけでなく、万葉集に因んだ広場等が複数設けられています。
一部のご紹介になりますが...
『人麻呂展望広場』には、人麿さんが歌った35首の歌碑が立てられています。眺めの良いここからは、石見の海や、万葉集に詠われた山々も展望できます。
『まほろばの園』は、水の流れに杯を浮かべ和歌を詠む"曲水の宴"もできる庭園。東屋に腰かけると、流れる時間が落ち着いた優雅なものに感じられて...しばらく一休み。
『万葉植物園』には、万葉集に出てくる四季の草花が育てられています。
植物の傍には歌が添えられ、一緒に観ながら楽しめるようになっていました。
万葉公園と高津柿本神社の境内を繋ぐのが、万葉植物園です。
秋の頃に訪れたので、紅葉が綺麗でした。
落ち葉を踏みしめながら歩く、気持ちの良い時間。また別の季節にも訪れてみたくなります。
その他にも、公園内の所々に、万葉集に収められた和歌の立札がありました。
前回の旅の道しるべにした歌もありましたよ。
知っている歌を見つけると、思った以上に嬉しさがこみ上げます。
そんなところも楽しみに、歩いてみてくださいね。
ここにはかつて城があり、今も続く人麿さんへの崇敬があり...
私たちはそんなところを歩いていたんだなぁ。と、振り返り、"もう一度...!"と思います。
そのときは、どんな面白い発見と出会えるのでしょうか。
最後に、帰り際に声をかけてくださった地元の方が、「益田には、人麿さんが育んだ素晴らしい文化があるんよ。」と力強く仰っていました。
こうして、今も続く人麿さんへの愛。
人麿さんを訪ねてみれば、益田の歴史と文化の奥深さを知ることになった、再びの益田旅でした。
【詳しくは⇒益田市観光協会公式サイトへ】
打歌の山(大道山)は写真右上の方角(人麻呂展望広場)
高津柿本神社入口