手からこぼれた神様の島
2024年05月02日
手からこぼれた神様の島
~みんな気になっていたあの島に渡る~
(手間の陸橋からの風景)
JR松江駅から米子方面へ一駅進む、東松江駅までのおよそ6分間の鉄道の旅。
線路に平行して走る国道9号線に乗ったドライブ。
いずれにしても、左に大橋川が悠々と流れるこのルートを通ったなら、きっと目にする違和感。
川の中の謎の島。なんか鳥居があるのも雰囲気出てる。
(気になる謎の島)
ここは「手間」。「てんま」と読みます。
松江市は竹矢町(ちくやちょう)、かつて古代出雲の中心地であった意宇郡(おうぐん)にあたる地域にあり、その変わった地名の由来は神話の中に。
江戸時代に編纂され、出雲地方史研究の基本書として高く評価されてきた「雲陽誌」(うんようし)によれば、
スクナヒコナノミコトは体の小さな神様で、あまりの小ささに生みの親である神様の手の間から零れ落ちてしまいました。
それでこの落ちてきた地を「手間」と言います。
そして、
普段は眺める他ない、ちょっと気になるこの島。
塩楯島(しおたてじま)
この島は、蛾の羽でできた服を着ていたと伝わるほど小さな神様、スクナヒコナノミコトが手の間から零れ落ちてきた際に、海水が固まってできたものと伝わっています。
(島に向かう船着き場)
ということで、2024年4月25日。
まちなびスタッフは、この神話の島に上陸します。
普段は上陸禁止、例祭のある日に氏子など許可された人だけが立ち入ることができる、メディア取材もお断りの閉ざされた無人島。
縁あって、今回は研究等を目的とした数名のいわゆる部外者の渡航が受け入れられました。
塩楯島には、手間天神社所有の船「塩楯丸」に乗り込み向かいます。
(手間天神社所有の船「塩楯丸」)
島の浮かぶ大橋川は、水の都松江市を代表する2つの汽水湖、宍道湖と中海を繋ぐ一級河川で、6本の大きな橋が架かります。
このうち中海大橋と縁結び大橋の間に塩楯島はあります。
なお、この塩楯島が分水界になっているんだとか。
そんなの聞いたらわくわくしますね。
(いざ塩楯島へ)
鳥居が印象的な塩楯島には、手間天神社(てまてんしんしゃ)が鎮座します。
島全体が境内であり、神域。
ご祭神はもちろんスクナヒコナノミコト。
陸からほんの40mほどでしょうか。
「塩楯丸」が導入された平成26年の遷宮までは、島の正面からまっすぐ陸地に向かって綱が張られ、そこを船で櫓を立てながら渡っていたそうです。
上陸。
みんな気になっていた、あの島へ。
■ ■ ■ ■
(手間天神社鳥居)
玄武岩でできた塩楯島は、照葉樹を中心とした木々がその全貌を覆い隠すように茂っています。
鳥居を潜ると傾斜の急な53段の石段があり、階下から10m以上は高い場所へと導きます。
島の面積を考えると驚くほど高い位置にお社が作られているのです。
手間天神社拝殿。そして本殿。
(拝殿)
(本殿)
既出の「雲陽誌」によれば、「てんま」ではなく「てま」。
「てんじん」ではなく「てんしん」であると強調して紹介されているため、くれぐれも菅原天神と混同してはなりません。
南向きの本殿には、寛文三年(1663年)、藩主源直正公造営の棟札があるそうです。
氏子の方によると、神社のほぼ正面、川を渡ったところにはかつてお殿様がお休みになったと逸話が残るお家もあるとのこと。
(平成26年度の遷宮でピカピカになったと思われる)
階段を上がって正面左には拝殿、その奥に本殿が置かれ、少し離れた右側には小屋の様な建物の中に「歳徳神」が祭られています。
その更に右には荒神さんも。
(歳徳神)
(荒神)
手間天神社のお祭りは、お正月、4月25日、7月15日、10月25日に行われるとのことですが、荒神さんや「おもっつぁん」もされているそう。
「雲陽誌」にある面白い記述では、毎年除夜にはたくさんのイカや魚が島の周辺に集まるので、漁師が網を引いてそれらを獲りお供えします。これが魚たちのお詣りになり、無事に参詣を終えた魚の背中には黒点が顕れ、参詣できなかった魚には黒点がありません。
魚たちまでお詣りするほどこの神社への参詣はありがたいことであるという逸話です。
ほっこり。
さて、例祭では、三人の神職と総代長が拝殿の中に入り、参拝者が拝殿前に集まります。
(珍しい神文。うろこに漢数字の二?)
神職は同じ竹矢町にある「稲荷神社」の神職が務めており、竹矢町内の6つの地区から総代が出されているそうです。
ご祭神のスクナヒコナノミコトは「因幡の白兎」神話で知られるオオクニヌシノミコトと共に「国造り」をしたという神様で、どちらも病気平癒の神様として有名です。
そのため、昔からお医者さんの参拝や、戦時中にはここに参拝した兵隊がみな無事戻ることができたという逸話による参拝などもあるとか。
この日ご一緒した研究者の方の話では、お詣りすると船酔いしなくなったという話を聞いたことがあるんだとか。
参拝後いただいたお札は、大切にしようと思います。
帰りは荒神さんよりさらに右にある、島の横を曲がりくねりながら降りる階段を行きました。
すぐ横の水面に川に浮かんだ島であるという実感が湧きます。
(塩楯島からの景色)
■ ■ ■ ■
帰りの船路は塩楯島をぐるりと回り、その外観を眺めます。
すると、玄武岩でできているという島のところどころに亀裂が入り、中には崩れ落ちたと見られる部分も。
氏子の方によると、行き交う船が起こす波の影響などから、少しずつ島が崩れてきているそう。
風土記の時代にはすでに認識されていた塩楯島。
時の流れの中で変容しつつ今に伝わってきたであろう姿が、もしかして、近い将来に大きく崩れてしまうのかもしれません。
そう思うと、移り変わる姿に感じるロマンもありますが、氏子の皆さんが大切に守ってきたこの神聖な場所を、なるべくこのままの姿で守りたいという気持ちも強くなります。
私たちがいつか見るのは、水の流れにさらわれ小さくなった姿なのか、護岸工事完了スタイルなのか。
分水界に立つ塩楯島。
川の流れも島の命運も、まさに岐路に立つ島です。
■ ■ ■ ■
こぼれ話に気になる島をもう一つ。
塩楯島から中海の方へ目を向けると、中海大橋手前に小島が見えました。
ほんの小さなその島はコンクリートで丸く形づくられ、上には1本の松と来待石で作られたお宮さんが鎮座しています。
荒神さんか、水分の神様か、もしかして恵比寿様かも。
中海への出入口と考えると道祖神のようなものとも考えられます。
道触(ちぶり)の神っぽい。
ということで、近くに住む方に話を聞いてみました。
(突然にすみませんでした。そしてありがとうございました。)
この島、地元「馬潟」(まかた)では「弁天島」と呼ばれているとのこと。
(ホーランエンヤで有名なあの馬潟の馬潟です)
弁天さん!
七福神の紅一点、水の女神様。納得~。
島は元々岩礁で、船の座礁が頻繁に起こったため、目印として今の様な形になったとのこと。
一昔前までは電柱が建っていましたが、ある時電柱が朽ちて倒れ、それに巻き込まれたお宮が水中へ落ちてしまう事件が。
お宮水没事件のときに工事をしていた担当者がその夜高熱を出し、これは祟りではという話になり、後々海上保安庁に依頼して川底からお宮を拾い上げてもらったそうです。
毎年7月18日には、規模を縮小しつつ今もお祭りが続いています。
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水の都松江市を悠々と流れる大橋川。
そこに浮かぶ小さな島の物語でした。