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大東七夕祭~「スイカ提灯」数えました~
2026年06月09日
大東七夕祭~「スイカ提灯」数えました~
天の川きらめく夜。
七夕祭を彩る笹の葉と揺れる赤い提灯。
その形は、スイカ。

「スイカ提灯」である。
「大東町(だいとうちょう)」は、平成の大合併により生まれた「雲南市(うんなんし)」を構成する町の一つ。
その歴史は古く、出雲国風土記に記される大原郡(おおはらぐん)にあたります。
島根県の地元ニュースでは、夏の風物詩として毎年の様に取り上げられるお祭りの一つに、この大東町の「大東七夕祭(だいとうたなばたまつり)」があります。

このお祭り、雲南市の外に暮らしていても、テレビや新聞で何気なく目にするものですが、あるときふと気づいてしまいました。
なんか、スイカの形の提灯がある!ということに。

偶然にも身近に大東町出身者がたくさんいたので、この提灯のことを聞いてみると、
「言われてみれば、確かにスイカの形だった」
「そういえば、他ではあまり見ないかも。え、大東だけ?」
「スイカ提灯あったあった。なんでスイカかは分からないけど」
あ、そんなに注目されてなさそうな雰囲気。
でも、メディアで見る限り、そこそこの数がありそう。
そして実物のスイカ提灯は、絶対可愛いと思うのです。

大東七夕祭の、スイカ提灯に注目!

ゴールデンウィークを過ぎた頃。
大東七夕祭を主催する大東七夕祭保存会にお話を伺いました。
事務局長の小山さんによると、まさに今、スイカ提灯の制作シーズン。
制作している方をご紹介いただき、大東町へ向かいます。

(大東町の町並み。外灯にご注目)
(七夕、スイカ提灯、ホタルがデザインされた街灯)
雲南市大東町大東。
大東七夕祭のスイカ提灯作りを一手に担う、「北町西瓜提灯作りの会」。
北町老人クラブ北寿会のメンバーが概ね重複します。
(北町公民館)
スイカ提灯シーズンになると、月・水・金に北町公民館に集まり活動されているということでうかがうと、すでに制作作業中。

スイカが!
スイカ提灯がある!!

かわいい!!!!!

小さいのがすごく可愛い!
思ってた以上に大きいのもある!!
会長の田部一男さんは、ベテランの大工さん。
スイカ提灯の中では一番大きなサイズになる、直径90センチのものに取りかかっていらっしゃいました。
(会長の田部さん)
この大きなスイカ提灯は、大東七夕祭のクライマックスを飾る花火大会の会場で、
一番目立つ橋の下にぶら下げて飾るもの。
全部で12個並びます。
(直径90センチの大きなスイカ提灯)
この提灯の枠は建築資材のボイドを使っていて、かなり丈夫とのこと。
秘密の比率でつなぎ合わせているんだとか。
(スイカ提灯の骨組みになる素材)
以前は、紙を貼っていたものの、平成11年からは布張りに移項し、さらに丈夫になっているそうです。
お祭りの歴史やスイカ提灯についてなんでも教えてくださったのは、副会長で竹細工職人の早川光幸さん。
(副会長の早川さん)
提灯作りは、本当に楽しい!と笑顔。
スイカの種付けには技が必要で、気温によってゆがむこともあるため集中して取り組みます。


一般的なサイズは直径30センチで、20センチ、15センチ、小さなものだと10センチもあります。
新しいものの制作だけでなく、古くなった提灯の布の張り替え依頼も多いそうです。

毎年5月から7月にかけて、現在10名のメンバーでスイカ提灯を作っています。
地元の大東小学校では、毎年2年生の親子活動でスイカ提灯作り体験をするため、小学校への出張もしています。

この日集まっていたメンバーの皆さん。
おしゃべりを弾ませながらも慣れた手つきで次々と作業を進めていらっしゃいました。

最年長88歳の方からは、
「大変だけど楽しい。自分たちも子どもの頃に行列をし、その頃の集合写真は大切にとってある。
跡を取ってくれる人がいると良い。この伝統を絶やさないようにしたい。」
そんな思いを聞かせていただきました。
作業の後にはお茶とお菓子で直会です。
とても穏やかな時間が流れていました。

ところで、このスイカ提灯。
ここにあるだけでもかなりの数。
一体お祭り本番には何個ぐらい飾られるのでしょうか。
誰も数えたことがないというスイカ提灯。
100ぐらい?と聞くと、そんなものではないとのこと。

この夏、我々まちなびスタッフは
「スイカ提灯」を数えに大東七夕祭へと臨みます。

記録的猛暑に見舞われ、あったのかも分からない梅雨が開けてから水不足続く、令和の米騒動のただ中。
雲南市と奥出雲町にまたがる島根県内最大のダム「尾原ダム」では、貯水量が50%を切る見通しとの報道流れ、
実際に放流量を半分にするといった渇水措置も執られる状況に。
待望の雨雲の気配が近づく、令和7年8月6日。
手の内にカウンターを忍ばせて、お祭り会場へ。

大東七夕公園。
大東七夕祭の由来が書かれた碑があります。
(七夕公園の看板)
(織姫さまらしき女性の手にある笹にはスイカ提灯も飾られている!)
(七夕公園と刻まれた石碑。以前の大東町長の筆と書いてある。)
(大東七夕祭保存会による看板。祭の由来が記される)
時は戦国、血で血を洗う時代。
大東を含む山陰地方では、尼子氏と毛利氏の戦乱が続き、人々は疲弊していました。
ようやく平和が取り戻された頃の1573(天正2)年。
七夕の夜に、村人が笹竹の枝に短冊を飾り、代官屋敷で太平の世を祝ったことから始まったと伝わります。
こどもたちが行列をして歩いたという、こどもが主役の伝統行事です。
5月下旬から6月下旬頃にはホタルが飛び交う赤川沿いを、メイン会場の大東商店街に向かって歩きます。
(赤川にかかる教橋は大東小学校の前)
(七夕飾りのデザイン)
早速、スイカ提灯を発見!!

民家やお店の軒先に、探すまでもなくスイカの姿が。


(七夕神社)
(本物のスイカが供えられ、スイカ提灯も飾られている)
大東七夕祭は、夕方から屋台が賑わい出します。

一番の見どころは、浴衣や法被で着飾ったこどもたちが練り歩く「こども七夕行列」。
行列の先頭は、「鼻高面」(はなたかめん)の親子。
これは、導きの神様であるサルタヒコノカミでしょう。
(天狗の様なお面を被った親子から行列は始まる)
「さーい、さーい、さいさい!
てんてこてんの、たなばたさん!」
ユニークなかけ声。
こどもたちの元気な声が響きます。
(手持ちのスイカ提灯が浴衣にお似合い)
かつてはこどもの声が中心だったそうですが、
今ではこどもが減って、大人たちの声の方が大きく聞こえました。
それでも、親子で、家族で、地域のみんなで、大東七夕祭は賑わいを見せます。
(大胆な星の形とこども達のイラストが目を引く山車)
大東町12地区がそれぞれにこしらえた山車とともに、お囃子をしながら商店街を練り歩きます。
(大きな太鼓がお祭りムードを盛り上げる)
七夕祭らしい、「星」モチーフよりも圧倒的に多く見られる「スイカ」モチーフ。
(電飾のきらめきが可愛い)
民家の庭先、お店の軒先、あちらこちらで明かりを灯しています。

そのままでも可愛らしいスイカ提灯ですが、夕暮れに灯る様子も風情があって素敵です。
(スイカ柄の傘がとってもおしゃれ。どうぶつの森にこんなのあったな)
スイカ提灯づくりを担う、北町の山車が来ました。
大量のスイカ提灯を贅沢にあしらった山車は圧巻。
(赤と黄のミニスイカが豪華)
このスイカ提灯を数えるのに、カウンターを押す親指が止まりません。連打。
ところでこのスイカ提灯、なぜスイカなのか、いつからあるのかは、はっきり分かっていません。

行列はゆっくりと進み、神田橋を越えて赤川沿いへ。


こどもたちが一斉に手持ち花火を弾けさせます。

赤川の水面に花火が映り込み、幻想的な光景に。


クライマックスは打ち上げ花火。

よく見ると、くし切りになったスイカの形の花火も上がっていました。

そして、各町の山車は、大東七夕祭最大のスイカ提灯に飾られた郡家橋を順番に渡り、
それぞれの町内へと帰っていきます。

大東七夕祭。
スイカ提灯と「さーい、さーい、さいさい!」の賑やかな声が、このまちらしさを感じさせる個性的なお祭り。
地域の人たちが多く参加して一緒に楽しむ姿が見られる、アットホームで優しい雰囲気のお祭り。
400年以上続く、平和への願いが込められたお祭り。
未来に残したいお祭りの夜になりました。

さて、最後に、お祭り気分で数えたスイカ提灯の数をお知らせします。
【 888 】 パチパチパチ・・・
思っていたより多かった。
そして、思っていたより数えるの難しかった。
なんせ、まちの本当に至るところにスイカが散りばめられていたのです。
そして、山車や行列する人たちの手にもスイカ。動くスイカ。
これは正直、正確な数が計れた自信はありませんね。
このスイカ提灯は、増えているのか、減っているのか。
本当は何個あるのか。
次はあなたが数えに行く番です。

【参考資料】
大東町誌編纂委員会(2004)『新大東町誌』
公益財団法人島根県老人クラブ連合「令和 3 年度 西瓜提灯づくりで地域の文化を伝承 (雲南市老人クラブ連合会 北町北寿会)」https://www.mamenakai-shimane.or.jp/actions/14/399(参照2026.6.9)
一般社団法人七夕協会「大東七夕まつり」七夕情報ポータルサイトhttps://media.tanabata.org/gallery/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%B8%83%E5%A4%95%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%8A/(参照2026.6.9)












