江津の人麻呂さん【その2】
2018年03月18日
江津の人麻呂さん【その2】
“石見のや 高角山の木の間より 我が振る袖を 妹見つらむか” (万葉集 柿本人麻呂)
愛する依羅娘子を石見に残し都へ帰る途中、その別れを惜しんで詠んだ、切ない歌。
この『高角山』が(様々な説があるようですが)、江津市の中央部にある星形の山、『島の星山』です。
・・・星形の山? そうです。この山、山頂付近(江の川の河口から見える位置)の草木が、巨大な星形になるよう刈り込まれているのです! 夏には星形部分のライトアップも行われる、江津市のシンボルのひとつなんですよ。 それにしても、なんで“星”・・・? |
標高470m。島の星山、星高山とも呼ばれるこの山は、まさに星を祀る山。
それは、人麻呂さんの時代から約150年後、平安時代874年のこと。島の星山の中腹には、隕石が落下しているんです。
実際に中腹まで登ってきましたが、隕石の落下跡とされる大きなくぼみが確かにあり、
冷昌寺というお寺の境内に、その隕石(本物!)が祀ってありました!!
『隕石大明神』!!!格子の中に白っぽい石!な、なんということでしょう。誰でも、自由に、触れます・・・!!
しばし、人麻呂さんの旅を一旦脇に置いて、目の前の隕石に興奮するスタッフ2名…!!!
歌に詠まれた山に星が落ちてくる日が来るなんて!・・・人麻呂さんもびっくりでしょう。
隕石のある冷昌寺からさらに登ると、頂上には展望台があります。 今回は時間の都合で断念しましたが、冷昌寺から30~40分程で行くことができるそうです。(冷昌寺までの道のりは、歩いて10分程です。) 展望台からは、日本海や江の川、江津のまちが一望できるとのこと。気軽でありながら面白い、良いハイキングコースです。 |
今回、車を停めたのは、冷昌寺参道の入口がある『島の星山 椿の里』。
ここでは、約100種類の椿が750本、その他、つつじ、紫陽花、梅、紅葉など、800本の樹々が育てられ、10~5月頃までの7ヶ月間、花を楽しむことができます。訪れたのは12月中旬でしたが、いくつかの椿が咲いていました。
園内は無料開放されていて、散策をしたりベンチでゆっくり花や景色を楽しんだりと、ゆったりとした時間が過ごせそうなところでした。
椿の里から江津駅方面へ約1km。こちらも島の星山の麓、『高角山公園』。
公園内には、依羅娘子の像。
ゆかりの地を色々とめぐってから見るお姿には…何とも言えない感動がありました。
冒頭の歌が刻まれた石碑。 広場の奥には、柿本人麻呂を祭神とする、『高角山 人丸神社』が。 島の星山の開拓者たちが、日々の困難を乗り越えるための心の拠り所として、人麻呂さんを祀ったと聞きました。 |
依羅娘子の後方、少し高いところに、人麻呂さんの像もありましたよ。
この人麻呂像、依羅娘子像、2体の万葉銅像は、二人が交わした万葉集の歌の世界がここにあったことを後世に残そうと、平成18年に江津万葉を愛する有志の方々が建立されたそうです。
依羅娘子と人麻呂さんの姿に出会いながら散策路を登ると、高台に立派な東屋と歌碑がありました。
“笹の葉は み山もさやにさやけども 我は妹思ふ 別れ来ぬれば”
これもまた、別れて来た依羅娘子をひたすらに想う、人麻呂さんの歌です。
高台からの景色は、石見の海や山々、別の歌に詠まれた屋上の山(浅利富士)なども見える、とても良いものでした。ここで静かにのんびりと、万葉の世界に浸ってみるのも良いですね。
最後に訪れたのは、『人麻呂渡し』。
かつての山陰道(京都から石見の国へ至る交通路)の中に置かれた江西駅。昭和8年まで渡し舟があったそうです。
定かではありませんが、人麻呂さんもここから江の川を渡り、遠ざかっていく依羅娘子を想い哀しみに暮れたのではないでしょうか。
“大舟の 渡わたりの山の 黄葉もみちばの 散りの乱まがひに 妹が袖 さやにも見えず・・・” (長歌の一節)
人麻呂さんと依羅娘子、二人が生きて再び会うことはなかったといいます。
それでも、二人が育んだ愛の物語は、1,300年の月日を越えた今も、江津市のあちこちに刻まれています。
〈おわり〉