江津の人麻呂さん【その1】
2018年03月18日
江津の人麻呂さん【その1】
日本最古の歌集、『万葉集』第一の歌人、柿本人麻呂。
700年代初め、石見国の初代国司として赴任した人麻呂が、そこで依羅娘子(よさみのおとめ)という女性を妻にしたと言われています。
江津市は、人麻呂と依羅娘子ゆかりの地。
国史の記述に登場しない人麻呂の存在には謎が多いそうですが、彼が詠んだ歌には、石見地方(島根県西部)の情景と、依羅娘子への愛が確かに描かれています。
1,300年の時を経てもなお、人の心を掴む人麻呂の歌。
その歌の指す場所や、彼の生涯には、今でも様々な説が唱えられていて…今日も私たちを、人麻呂さん探しの旅へと駆り立てます。
昨年は、『人麿さんを訪ねて・・・』と題し、益田市内のゆかりの地をめぐりましたが、今回は江津市内を駆け回ってみることにしました。人麻呂ファンも、まだそうでない方も、“江津の人麻呂さんを探す旅”、是非お付き合いください。
(益田市編では「人麿」と表記しましたが、江津市では「人麻呂」表記が多いようですので、この江津市編は「人麻呂」とさせていただきます。・・・同じ人です。)
〈1〉ここは、江津市二宮町。 依羅娘子は、恵良の里(現在の二宮町南部)の豪家の娘。人麻呂さんが赴任してきた当初、恵良の郡庁が仮の国庁とされたことがきっかけで、二人は出逢ったと伝わっています。 人麻呂さんと依羅娘子。深く想い合っていた二人ですが、やがて彼は妻を残して都に帰ることになります。 そんな二人の間で交された歌の数々が、万葉集『石見相聞歌』として残されているのです。 |
人麻呂さんと歌を詠み交わすことができるほど、依羅娘子は才色兼備の女性。人麻呂さんに乞われて妻になったと伝わっています。
とても素敵な方だったのでしょうね。
〈2〉ここは、『石見相聞歌』の世界を見渡すことができる場所。石見海浜公園の東端、大崎鼻です。
駐車場の一角に、歌碑がありました。 『辛の崎の歌碑』
歌が詠まれた辛の崎。 その場所についても、いつくかの説があるようですが、万葉集研究の第一人者であった澤瀉久孝博士が、ここを辛の崎と比定し、石碑を建てたそうです。 |
駐車場から遊歩道を歩くこと約10分。『石見大崎鼻灯台』。 海岸線に突き出た鼻からの眺めの良さは、予想以上でした。 石見大崎鼻灯台は現役の灯台。浜田海上保安部のライブカメラも設置されているんですよ。 弓なりの砂浜に美しい日本海。広がる町並みに、繰り返し届く潮騒の音。 |
この景色を、人麻呂さんも眺めたでしょうか。
石見相聞歌に詠まれた場所場所を示す案内板もありました。
依羅娘子の郷“恵良の里”、石見の海、“角の里”、後にご紹介する“高角山”…
そして、ずっと続くこの美しい海岸線は、“角の浦”。(渡津・江津・嘉久志・和木・角本郷・宇屋川・波子の七浦の総称です。)
ここが恋の舞台だと思うと、より一層美しく感じる景色です。
〈3〉今度は、角の浦のほぼ中央、“和木”にある真島(海岸線の一番出っ張ったところ)へ行ってみました。
車を走らせ行ってみると・・・ 「北緯35°線最西端地点」の看板が!・・・そうだったのか!真島!! 人麻呂さんを探しに行ったら、北緯35度線の本州最西端、日本のへその西端にたどり着くという浪漫・・・!! |
その真島、なんとも不思議な島なのです。 和木地区の砂丘地帯に陸続に突き出た島。入口には砂丘に埋もれかけている石の鳥居。 島の先端には、崩れた鳥居と、狛犬の姿、神社の跡らしきものがあります。かつては弁天宮という御宮があったようですが、今その姿は確認できません。 |
随分陽が落ちてきてしまい、写真が上手く撮れず残念ですが・・・
ここは、角の浦の中央。人麻呂さんも眺めたであろう、“石見の海”をしっかりと目にすることができる場所。
明るい時間に再訪したいところです。
〈4〉続いては、柿本人麻呂・依羅娘子夫妻を祀る神社へ。角の里、都野津町にある『都野津柿本神社』。
ここは、人麻呂さんが依羅娘子と仮住まいをした地と言われるところ。都野津柿本神社は、依羅娘子の末裔が建立したと伝えられています。
住宅地の奥にある小さな神社ですが、境内には、万葉学者の犬養隆が建立した人麻呂歌碑が建ち、社殿の隣には『人麻呂の松』という人麻呂さんゆかりの松の一部が保存展示されていました。
人麻呂の松は、人麻呂さんの仮住まいを記念して植えられたと伝わる松ですが、平成9年に老朽化のため伐採されています。推定樹齢約800年の立派な松の木だったそうです。展示されている幹も、とても立派でした。
人麻呂さんと依羅娘子、短いながらも深い愛を育んだ二人。
良く手入れされた境内の様子から、今でも二人が大切にされていることを伺い知ることができました。