いわやde作戦会議<邑南町編>
2024年11月12日
いわやde作戦会議<邑南町編>
大田市の「静之窟」を離れ、邑南町の「志都の岩屋」へ。
車で1時間20分ほど。
邑南町岩屋。合併前の旧町名でいうと、瑞穂町にあたります。
宮田隆作詞、長津義司作曲の「瑞穂のうた」には、次の歌詞が。
“志都の岩屋は弥山のふもと のぼりくだりのけしきのよさは
くぐり岩やら 千畳敷に 神代ながらの 風が吹く”
地域の人にとっても大きな存在であることがうかがえます。
地名もずばり「岩屋」。
かつては「岩屋村」、明治22年の合併により「出羽村」、昭和32年の合併で
「瑞穂町」となり、平成16の大合併で今の「邑南町」に至っています。
昭和51年発行の『瑞穂町誌(第三集)」を開くと、「出羽の志都権現社」の
項に、面白い記載がありました。
「出羽村」の地名について、「イヅハ」は「イツキイワ」(厳岩または斎岩)の訛った
言葉と考えると、「出羽」は敬仰すべき鏡岩の鎮座する土地という意味が由来とのこと。
初めて訪れた、「志都岩屋神社」。
ご祭神はもちろん、国造りメンバーのオオクニヌシノミコトとスクナヒコナノミコト。
お社の後ろにあるご神体と伝わる大きな岩。これが「鏡岩」です。
写真では伝わりにくいですが、その高さ約10m。見上げるほどの大岩。
いわゆる巨岩信仰、磐座信仰の典型的なパターンといった印象。
しんとした静謐の中にたたずむ、この大岩の迫力は
神的な存在を意識せずにはいられません。
そんな鏡岩は、縁結びのパワースポットとしても知られています。
境内には“こより”が置いてあって、鏡岩の岩肌にたくさん開いている小さな穴に
こよりを通して結ぶことができると願いが叶うとか。
前出の『瑞穂町誌』で引用されている文中にも記載があり、当時の人達は
こよりに賽銭を繋いで鏡岩の表面の小さな穴(はなぐり)に通して括り、
これこそがご神体であると伝えていたといいます。
まちなびスタッフもさっそく挑戦。
小さな穴、ゴツゴツした岩肌なので簡単には入りません。
知恵を絞って…。穴に通して、蝶結び…。
できました。願いが叶いますように。
さらにこの鏡岩は、岩間から清水が湧き出ており、この石清水が
昔から万病に効くと言い伝えられ、薬清水とも呼ばれています。
この水を目的に病気治癒祈願のため遠方から訪れる参拝者も多いそうです。
島根県の名水100選にも選ばれています。
志都岩屋神社があるのは、標高606mの弥山山腹。
大田市編で先述の万葉集、生石村主真人(おおしのすぐりまひと)が詠んだ
「志都乃石室(しずのいわや)」が刻まれた歌碑もあります。
邑南町の志都の岩屋は本居宣長が随筆『玉勝間』の中で
記述したことでも知られています。
弥山には、鏡岩の他にも巨岩奇岩が多数点在し、くぐり岩、夫婦岩、
鎮め岩など名前が付けられ、また小詞も詠まれています。
こうした岩郡をまとめて名勝志都の岩屋とし、県の名勝、天然記念物に指定されています。
くぐり岩(神門岩)
小詞 “はらばうて 清水掬うや 岩間” 里人
古くはこのくぐり岩をくぐって、神前に至っていたと伝えられる。
平安時代から室町時代以後まで長く修験者たちの霊場となっていたとも考えられており、
岩郡を見て回るにはなかなか険しいコース。
しっかりとしたスニーカーで訪れることをおすすめします。
国造り神話に触れる旅。
あなたはどっちの「いわや」派ですか。