いわやde作戦会議<大田市編>
2024年11月01日
いわやde作戦会議<大田市編>
その昔、神話の時代。
オオクニヌシノミコトとスクナヒコナノミコトが、国造りの策を練るための
仮宮にしたという場所、「しずのいわや」。
島根県内にその比定地が2か所あるのをご存知でしょうか。
今回は名勝「しずのいわや」を目的に、大田市と邑南町に向かいます。
大田市静間町(しずまちょう)。
出雲神話において、神様が「わが心静まる」と言ったことから名づけられたと伝わる
神話の舞台にぴったりの場所。
この静間町の魚津の海岸にあるのが、“静之窟”です。
海岸に現れる異様な巨岩と、その前に立つ立派な鳥居。これが目印です。
ここは「窟」とつくように、波浪による侵食で海食崖に形成された海食洞。
幅18m、奥行き45mの大きな洞窟です。
大田市の天然記念物に指定されています。
洞窟の岩盤は約1,500万年前の火山噴出物が堆積してできたもので、
複雑に入り組んだ断層や岩脈から地殻変動の激しさを読み取ることができます。
静之窟というと、鳥居の先にある洞窟の入口というビジュアルがイメージされますが、
実際に訪れてみると入口は二つありました。
この二つの入口は中で繋がっています。
なお、現在は崩落の危険があるため、立ち入りはできません。
ギリギリまで近づき、鳥居のない方の入口から薄暗い中の様子をうかがうと
小さな鳥居や石碑の様なものが見えます。
そのうち、最も大きな石碑は歌碑でした。
“大汝少彦名のいましけむ志都の石室は幾代経にけむ”
訳)大汝や少彦名がいらしたという、この志都の岩屋は、どれほどの年月を経ているのだろう。
この歌は、万葉集に納められた、生石村主真人(おおしのすぐりまひと)が詠んだ
「志都乃石室(しずのいわや)」です。
万葉集は、奈良時代に成立したとみられる日本最古の和歌集。
そこにすら、「幾代経にけむ」とあるので、遥かなる時に思い馳せずにはいられません。
二つの入口の間、鳥居がない方の入口の左上の方にも石碑がありました。
近づけないため内容は読み取れませんでしたが、「静迺窟碑」とあり、
この場所の説明が書いてあると思われます。
ちなみに、魚釣りスポットの多い大田市の海岸。
同じ静間町内、静之窟のある魚津海岸より少し東にある近藤ヶ浜には、
ハマナスの自生地があります。
ここはハマナスの日本海側西限地として島根県の天然記念物に指定されています。
静之窟もハマナスの自生地も、地域の方たちに大切に保護されています。
おだやかで透き通った海、心地良いさざ波をBGMに、洞窟の中で
海岸で獲った魚を食べながら国造りの話し合いがなされたのでしょうか。
静之窟から車で3分もかからない距離に、「静間神社」があります。
本殿にはオオクニヌシノミコトとスクナヒコナノミコトが祀られています。
そう、国造りメンバーです。
実は350年ほど前までは、静之窟の中に祀られていたものの、
たびたびの高波の被害を受け、海から少し離れた現在の場所に遷座されたそうです。
よく見ると神社の前の道を挟んだ草むら(池?)の中にも小さなお社。
歴史を感じられる場所です。
道が狭いので、おでかけの際はお気をつけて。
邑南町の「しずのいわや」もあわせてお楽しみください!
<参考文献:大田市誌 十五年のあゆみ /昭和四十三年十月一日発行>