歴史と住むまち「石見銀山」
2018年07月31日
世界遺産・・・それは世界の人々が永久に守っていくことを約束した貴重な文化財や自然。
大田市にある石見銀山は2007 年7 月に「石見銀山遺跡とその文化的景観」として、国内では14 件目、鉱山遺跡としてはアジアで初めての世界遺産に登録されました。
はずかしながら、石見銀山について"かつて銀が沢山採れた所"・・・くらいな知識しか持っていなかった私。世界で守るべき宝が島根にあるなんて、すごい!・・・でも何故石見銀山なのか?その理由を求めて今回は石見銀山を訪れました。
向かったのは大森町にある『石見銀山世界遺産センター』。
石見銀山世界遺産センター
まずはこちらで、石見銀山についてお勉強です。
このセンターでは石見銀山の歴史やその価値、当時の石見銀山の様子や遺跡全体のジオラマなどがあり、町並みや遺跡等の現地を訪れる前の事前学習に最適。
展示を見てみると・・・へ~!は~!知らないことばかり。
驚いたのが、石見銀山は、16世紀、日本国内のみならず、世界的に有名な場所だったということ。石見銀山の銀は、世界の交易やその後の歴史にも大きな影響を与えるほどの存在だったんですね!知らなくて本当にすいませんっっ
当時の銀山には20万人の人が暮らしていたといいますから、家々が立ち並び、それはそれは活気に満ちていたのでしょうね。
展示室には実際に当時の人が使っていた食器や、下駄、かんざし、きせるなどの展示もあり、過酷な鉱山の労働の中で、人々が比較的豊かに生活を営んでいた様子もうかがえます。
また、採ってきた鉱石をどのように精錬して銀を取り出していたのか、その銀がどのように流通していったのか、銀山や間歩の全体像はどれほどのものだったのか等、興味深い内容の展示で、とても勉強になりました。
展示物(採掘跡と丁銀のレプリカ)
ちなみに現在センターでは、常時公開はされていない大久保間歩を3分間のVR(バーチャル・リアリティ=仮想現実)で、体感できる『VR銀山』も開催中でしたよ
VR銀山
石見銀山世界遺産センター』・・・銀山散策のスタートにおすすめです!
石見銀山世界遺産センターについては⇒公式ホームページへ
石見銀山が世界遺産に登録された理由に、
1.世界的に重要な経済・文化交流を生み出したこと
2.当時の坑道や工房の跡が遺跡としてよく残っていること
3.銀を運んだ街道や積み出した港も残り、鉱山町や港町には今でも人々が住み続けていること
・・・この3つがあるそうです。
1についてはセンターでのお勉強で納得。
2、3については、・・・やっぱり実際に見てみなければというわけで、センターを後にし、楽しみにしていた銀山散策に出発です。
センター前からバスに乗って、大森の町へ。
石見銀山を歩くなら、ガイドさんと歩くのが一番。
石見銀山には定時に行う"ワンコインツアー "なるものがあり、500円で専門ガイドの方が一緒に歩きながら案内してくださいます。コースは2つあったのですが、私達は町並みから龍源寺間歩に向かう"龍源寺間歩コース"を選択。
スタートは銀山公園。ここにはガイドしてくださる石見銀山ガイドの会の事務所や、観光案内所、各種お土産ものや、ベロタクシーなんかもあります。
私達が行くとガイドの方達が笑顔で迎えてくださいました。
今回ガイドしてくださったのはベテランのガイドさん。
当然かもしれませんが、お話がとても上手。分かり易いうえに面白い。
笑いを交えながら楽しく、そして時に熱くこの石見銀山について語ってくださいます。
ガイドさんと歩く石見銀山
話しに興味が沸く"小道具"も色々準備されてます。
お手製の通行手形
何て読むでしょう?
灰吹法とは?
ガイドさんと一緒でなかったら、関心を持って見てなかったかも・・・と思う重要スポットも沢山。
下河原吹屋跡
時折、クイズも交えます。
「石見銀山には梅の木が沢山あります。どうしてでしょう?」
「・・・・・・・?」
「正解は、鉱夫が作業中粉塵を吸わないように、マスクの中に梅肉を塗ったものを使用したためなんです。」
「へ~!。」
梅ノ木があちこちに
当時、鉱夫の方々の平均寿命は30歳くらい。大変過酷な作業だったのですね。
歴史や当時の人々に思いを馳せながら、また今でもそこに暮らしている家々の息遣いを感じながら、ガイドは続きます。
豊栄神社
案内板
家の軒先にはかつて牛を繋いだ穴が
約2.3km歩いてクライマックスは龍源寺間歩。
その日は30度を超える暑さでしたが、間歩(坑道)の前に立つと冷気が。
龍源寺間歩入口
中に入ると・・・びっくりするくらい寒い!!
間歩の中は年間を通して気温が10度前後だそうです。中と外でこんなにも気温が違うものでしょうか!?
温度計は11度!
それにしても、これを人力(手作業)で堀ったというのは驚きです。龍源寺間歩の長さは約600m、しかも左右や上下にむかう、ひおい坑やたて坑といった穴が無数にあるのです。
坑内の様子
ひおい坑
石見銀山の間歩の数は全部で約600以上!!
当時はサザエの殻に油を入れて火を灯した、螺灯(らとう)の明かりだけが頼り。
螺灯のレプリカ
暗い坑内を、タガネと呼ばれる道具で一打ち一打ち、とにかく鉱脈を求めて掘り進んでいったのですね。人の力ってすごい。
銀堀の図
表舞台には決して出ないけれど、このような人達がいたからこそ、今に至る歴史があったのだな~。感慨深いものがありました。
間歩坑内の様子1
間歩坑内の様子2
こうして、1時間30分のツアーは終了。
石見銀山には、家、町並み、信仰対象となった神社、鉄の製錬所跡、間歩、銀を運んだ街道など、当時の様子を伺い知るものが沢山残っていました。そして現在でも、それらを保存しながら、人々の暮らしがありました。
かつて『銀の国』として世界に名の知られた日本。なかでも重要だった場所"石見銀山"。
その石見銀山の営みを、今でも感じるこの場所は、歴史と新しさが調和しながら混在する、どこか懐かしくもあり新しい、不思議な場所。美しい自然や、地元の方の笑顔と共に、確かに後世に残したい大切な場所だなぁと、帰りの車の中で思うのでした。
軒先のメッセージ
町並み
世界遺産モニュメント
石見銀山、周辺の情報について詳しくは⇒大田市観光協会へ