殉教の歴史伝える「乙女峠」
2019年05月07日
津和野と言えば、情緒のある町並みや、美しい自然があり、風光明媚な場所・・・というイメージですが、かつてキリシタン弾圧に関わる悲しい歴史があったこともご存じでしょうか?
今回津和野を訪れる際、どうしても行ってみたかった場所「乙女峠」。
この可愛らしい名前の場所がその歴史の舞台です。
津和野殿町通りから車で5分。専用の駐車場に車を停めると、案内板が。
ここから谷川に添って、林の中の道を登って行きます。
木々の間から降り注ぐ木漏れ日、谷川のせせらぎ、ひんやりと澄んだ空気・・・
少々きつい坂道も、気持ちよく進めます。
苔むした坂道は若干滑りやすい為、行かれる方は滑りにくい靴がおすすめです。
駐車場から約5分。
「乙女峠マリア聖堂」が見えてきました。
聖堂の前には、この地の説明書きが。
キリスト教が厳禁だった明治元年。長崎から津和野に送られてきた153人の隠れキリシタンは、この場所にあった光琳寺というお寺に収容されます。そして津和野藩の改宗のすすめに応じず、ついには拷問によって37人が命を落とすことに。
37人の中には小さな子ども達も含まれていたとか・・・。
時代は変わり、明治25(1892)年。
乙女峠の隣の谷に葬られていた殉教者の遺骨は、一つのお墓に埋葬されます。その後、昭和21年に津和野カトリック教会に赴任したネーベル神父(帰化後は岡崎祐次郎神父)が、マリア聖堂を建てたり、周辺も現在のような場所へと変えていったそうです。
可愛らしい外観のマリア聖堂。
聖堂の内部。
美しいステンドグラスには、拷問の様子など悲しい物語が描かれています。
「三尺牢」という立つこともできない檻に閉じ込めて行われた拷問。
その際マリア様が現れ信者を励ましたという有名な場面の像。
後に、”もっとも過酷だった”と覚書にある「氷責め」に使用された池(復元)
収容されていたキリシタンが使用した井戸と水洗い場(復元)
聖母と殉教者碑。
壮絶な苦しみを与えられながらも、信仰を守り生き抜いた人たち。なぜそこまで?と思う一方で、自分達の信念を決して曲げない強い意志に心を打たれます。
それにしても乙女峠は、静かで、気持ちが良く、かつて本当にそんな出来事があっただろうかと思う程、穏やかに訪れる人を迎えてくれます。
自然に身をゆだね、乙女峠内を一つ一つ巡りながら、祈りを捧げたり自分自身と向き合ったり、思い思いの時間をゆったりと過ごしました。
乙女峠を訪れた翌日、私達は津和野の殿町通りにある「津和野カトリック教会」にも行ってみました。この教会は昭和6年に建てられたゴシック建築の教会で、礼拝堂の中は畳敷きという珍しい教会。
この日は日曜日。ミサの準備をされているシスターが「どうぞお入りください」とやさしく声を掛けてくださいました。
美しいステンドグラスから、教会内にやさしい光が降り注ぎます。
そしてこの教会には、隣接して「乙女峠展示室」があります。
こちらには乙女峠に関する様々な資料が展示してあり、乙女峠についてより深く知る事ができます。
「山陰の小京都」と称される津和野。
歴史的建築物や四季折々の伝統的な祭事など見どころも多く、一度は訪れたい観光地です。
そんな津和野にあって乙女峠は、歴史の転換期に行われた殉教という史実を私達に教えてくれると同時に、美しい自然の中、心静かにゆったりと過ごせる特別な場所でした。
津和野を訪れた際は是非「津和野カトリック教会」「乙女峠展示室」とあわせて、訪れてみて欲しい場所の一つです。
乙女峠について詳しくは⇒津和野町観光協会「ゆ~うにしんさい」へ