松江藩主松平家の菩提寺、あじさい寺。

吉田くん

松江城から西に約1.5km。松江藩主松平家の菩提寺『月照寺』。

月照寺

月照寺は、松平家初代松江藩主直政公が、母月照院の霊碑を安置するため、荒廃していた禅寺を改称し再興されました。

現在は国の史跡にも指定されており、約1万㎡もの境内に松平家初代から第九代までの歴代藩主の廟が納められています。

四季折々の花が咲き、各廟をめぐりながら静かに時間を過ごすことができる松江の名所ですが、特に素晴らしいのが紫陽花の季節です。
 

梅雨時の6月中旬から7月にかけて、境内のあちらこちらに3万本もの紫陽花が咲き誇る月照寺は、"山陰のあじさい寺"とも呼ばれています。

月照寺

私たちが訪れたのも、梅雨真っ只中の6月中旬。
この時期にしか味わえない景色を見ようと、多くの方が拝観に来られていました。
雨に濡れる境内には、本当にたくさんの紫陽花が咲いていました。

"降り続く雨も、こんな景色があるのなら悪くないな。"と思わせてくれる、月照寺の梅雨です。

月照寺の紫陽花

月照寺の紫陽花

月照寺の紫陽花
月照寺の紫陽花

今回は、その境内と歴代のお殿様を、順路に沿ってちょっとだけご紹介してみたいと思います。


●初代直政(なおまさ)公の廟 <慶長6(1601)~寛文6(1666)年>

直政公は、徳川家康のお孫さんに当たります。
大坂の陣で活躍し、その勇敢さは、敵将真田幸村から軍扇を与えられたほどと伝わる武将。

寛永15年(1638年)、跡取りのなかった京極氏にかわり信濃松本より松江に入られ、その後、約230年続く藩政の基礎を築いたお殿様です。

一番大きく、広い廟。さすがは初代という感じ。
紫陽花はもちろんのこと、池に咲く蓮も見事でした。

松平直政公の廟(月照寺)
松平直政公の廟(月照寺)

松平直政公の廟所(月照寺)
松平直政公の廟所(月照寺)

松平直政公の廟(月照寺)
松平直政公の廟(月照寺)

松平直政公の廟所(月照寺)
松平直政公の廟所(月照寺)

月照寺境内の道
月照寺境内の道


●七代治郷(はるさと)公の廟 <寛延4(1751)~文政元(1818)年> 六代宗衍の次男。

地元では、このお殿様が一番有名なのではないでしょうか。松江に茶の湯の文化を根付かせた大名茶人「不昧公」の名で親しまれているお殿様。

茶人としてのイメージが強い不昧公ですが、破綻した藩の財政を御立派の改革と呼ばれる藩政改革により立て直した名君でもあります。

松平治郷公の廟所(月照寺)
松平治郷公の廟所(月照寺)

葡萄の透かし彫りが素晴らしい廟門は、名工・小林如泥の作と言われています。

そしてこの廟所からは松江城を望むことができます。
月照寺から松江城を見ることができるのは、ここ治郷公の廟だけ。廟門のあたりから遠くに見える松江城。これは行った方だけのお楽しみ...♪

松平治郷公の廟門(月照寺)小林如泥作
松平治郷公の廟門(月照寺)小林如泥作

松平治郷公の廟門(月照寺)
松平治郷公の廟門(月照寺)

松平治郷公の廟所(月照寺)
松平治郷公の廟所(月照寺)

ご拝観の際は是非、振り返って松江城の方向をご覧になってみてください。


月照寺の紫陽花
月照寺の紫陽花


●五代宣維(のぶずみ)公の廟 <元禄11(1698)~享保16(1731)年> 四代吉透の次男。

 

前代から続く財政難は宣維公の婚儀を延期させたほどだったそうですが、今の松江には、宣維公の時代から続くと言われる伝統行事があります。

一説によると、行われた婚儀の際、京都からお輿入れになったお姫様のために、町民が大きな太鼓を競うようにつくり打ち鳴らして祝ったことが「鼕行列」の始まりとされているそうです。

松平宣維公の廟所(月照寺)
松平宣維公の廟所(月照寺)

松江市の伝統行事「鼕行列」
「鼕行列」は、車輪をつけた屋根付の山車(だし)屋台に、4尺(1.2m)~6尺(1.8m)の鼕(どう)と呼ばれる太鼓を2~3台上向きに積み、笛・チャンガラのお囃子に合わせて打ち鳴らしながら引き廻るお祭り。城下町の各町が鼕を交代で打ち、山車を引いて行列します。

今でも、松江神社の例大祭に合わせ松江開府を祝うお祭りとして、毎年10月の第3日曜日に「松江鼕行列」として続いています。


宣維公の廟所の隣には、月照院様の廟がありました。

初代直政公の母 月照院様の廟(月照寺)
初代直政公の母 月照院様の廟(月照寺)


●三代綱近(つなちか)公の廟 <万治2(1659)~宝永6(1709)年> 二代綱隆の四男。

綱近公の時代もまた、災害に苦しむ財政でしたが、歴代藩主の中でも特に松江を愛したお殿様だったと言われています。綱近公は隠居後も、江戸ではなく松江でお暮しになっています。

家臣からも愛されたお殿様だったのでしょう。
目を患い失明した綱近公のために、小姓が自分の目を献上したという逸話があるほどです。

綱近公は、月照寺の整備と大修理も行われています。

松江を想い、松江に菩提寺をという強いお気持ちがあったのではないでしょうか。

松平綱近公の廟所(月照寺)
松平綱近公の廟所(月照寺)


月照寺境内
月照寺境内


●九代斉斎(なりよし)公の廟 <文化12(1815)~文久3(1863)年> 八代斎恒の長男。

藩主在任中の名は「斉貴(なりたけ)」。隠居後に「斉斎」を名乗ります。

斉斎公の時代は天保の大飢饉を始めとする災害が相次ぐのですが、このお殿様はどこ吹く風。お相撲や鷹狩りに興じ、西洋の時計等の収集にも熱を上げられ...終には家臣たちに隠居させられてしまいます。

しかし、悪い面ばかりではありません。斉斎公の西洋好きは、松江藩近代化の一翼を担ったとも言われています。

松平斉斎公の廟所(月照寺)
松平斉斎公の廟所(月照寺)

松平斉斎公の廟門(月照寺)
松平斉斎公の廟門(月照寺)

松平斉斎公の廟門(月照寺)
松平斉斎公の廟門(月照寺)

松平斉斎公の廟門(月照寺)
松平斉斎公の廟門(月照寺)

「鷹殿様」とも呼ばれていたお殿様。廟門には鷹と思しき鳥の彫刻がありました。

その時代の方々にとっては大変なことだったと思いますが、今こうしてお参りすると、なんとも魅力あるお殿様に思えてなりません。


月照寺一番奥に見える松平綱隆公の廟所
月照寺一番奥に見える松平綱隆公の廟所


●二代綱隆(つなたか)公の廟 <寛永8(1631)~延宝3(1675)年> 松平直政の長男。

直政公の時代から燻っていた社会不安や財政悪化が決定的なものとなり、混乱の時代を生きたお殿様だったようです。
二度の大水害にも見舞われ、藩札の発行等で切り抜けようとされますが上手くいかず...急病により9年の治世を終えられました。

初代直政公の遺命により月照寺境内に廟を造り、山号を「歓喜山(かんぎさん)」と改め、松平家の菩提寺とされたのは綱隆公です。

松平綱隆公の廟所(月照寺)
松平綱隆公の廟所(月照寺)

綱隆公の廟は月照寺の一番奥にあります。

装飾の少ない廟門が目に付きました。
財政難だったためでしょうか、二代から四代の御廟は、少し質素に感じられました。

松平綱隆公の廟門から見た月照寺境内
松平綱隆公の廟門から見た月照寺境内


月照寺境内をめぐる
月照寺境内をめぐる


●八代斉恒(なりつね)公の廟 <寛政3(1791)~文政5(1822)年> 七代治郷の長男。

治郷公の隠居により藩主となられます。
斉恒公も茶道や俳諧、書に精通された方だったようですが、財政は再び厳しいものになっていたそうです。
32歳の若さでお亡くなりになっています。

受付でいただいたパンフレットには、お酒好きのお殿様だったとありました。

松平斉恒公の廟門(月照寺)
松平斉恒公の廟門(月照寺)

廟門には、あの世でお酒を楽しめるようにということでしょうか、瓢箪の彫刻が施されていました。

それぞれの廟門から、そのお殿様のお人柄を推し量ってみるのも、月照寺の楽しみ方の一つではないでしょうか。

松平斉恒公の廟門(月照寺)
松平斉恒公の廟門(月照寺)


月照寺境内の紫陽花
月照寺境内の紫陽花


●六代宗衍(むねのぶ)公の廟 <享保14(1729)~天明2(1782)年> 五代宣維の長男。

父宣維公の死去により僅か3歳で藩主となられます。在任当初から大飢饉や相次ぐ天災により財政は困窮を極め、なかなか松江の地を踏むことができなかったのだそうです。

17歳で松江に入られてからは、延享の改革と呼ばれる大胆な改革を行われましたが、天災等により失敗。失意のうちに家督を次男の治郷公にお譲りになります。

松平宗衍公の廟所(月照寺)
松平宗衍公の廟所(月照寺)

宗衍公の廟内にあるのが、寿蔵碑です。

寿蔵碑は、七代治郷公が、父宗衍公の長寿を願って建立したとされていますが、この台座の亀が曰く付き。なんと、夜中に歩き回って城下の人々を次々に食べていたのだとか・・・!!

その話は小泉八雲の随筆に登場します。夜な夜な人を襲う亀に住職が理由を尋ねたところ、亀は泣きながら、自分にも止めることができないのだと訴えます。そこで、宗衍公の功績を刻んだ碑を背中に負わせ、亀を封じた伝えられています。

良く見るとこの亀さん、泣いているようにも見えませんか?

寿蔵碑(月照寺)
寿蔵碑(月照寺)

寿蔵碑(月照寺)
寿蔵碑(月照寺)

亀の頭を撫でると長生きできると言われています。

寿蔵碑(月照寺)
寿蔵碑(月照寺)

その頭は身長160cmの私よりも少し上。想像以上の迫力に、「本当に動き出すのでは?」と、ちょっぴり真面目に思ってしまったほどでした。


 松平宗衍公の廟門(月照寺)
松平宗衍公の廟門(月照寺)


松江藩最後の藩主、十代定安(さだやす)公の廟は月照寺にはなく、東京都の天徳寺に埋葬され、護国神社に分骨されています。

定安公の代、明治4(1871)年の廃藩置県により、松平家の治世は幕を閉じました。

月照寺の紫陽花
月照寺の紫陽花


受付のある書院『高真殿』にはお茶席が設けられていて、お庭を眺めながら、不昧公の愛したお茶をいただくことができます。

高真殿(月照寺)
高真殿(月照寺)

松江が今でも京都・金沢と並ぶ茶処・菓子処と評されているのは、不昧公によるところです。

お茶席では、参道入口に湧いている不昧公愛用の名水が、茶の湯として今でも使われているそうです。

不昧公御愛用 茶の湯の水(月照寺)
不昧公御愛用 茶の湯の水(月照寺)


広い広い境内を1時間ほどかけてまわりました。

お茶を楽しまれる場合は、もう少し時間が必要でしょう。 

松江城から歩くこと15分ほど。ぐるっと松江レイクラインバスを使うと「月照寺前」下車すぐです。

月照寺へのアクセス(一社)松江観光協会協会

 月照寺

梅雨のしっとりとした空気の中に咲く紫陽花。
 

静けさが広がる月照寺には、それぞれに趣の異なる廟、不昧公の愛した茶の湯、小泉八雲を惹きつけた怪談の世界等、松江の歴史と文化を垣間見ることができます。

 

味わい深い月照寺を堪能しに、お参りください。

月照寺の紫陽花
月照寺の紫陽花

参考文献:石井悠(2012)『松江藩 (シリーズ藩物語)』現代書館
     西島太郎(2015)『松江藩の基礎的研究-城下町の形成と京極氏・松平氏-』岩田書院
     その他、月照寺リーフレット、案内板等


月照寺本堂
月照寺本堂

月照寺の紫陽花

月照寺

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